アメリカ文化研究前期レポート

 実際に起きた出来事である、黒人のバスボイコット運動を元にした映画『ロング・ウォーク・ホーム』を見ました。黒人差別を描いた映画はたくさんあるのでしょうが、私は映画自体をほとんど見ないために、このような映画を見るのは今回が初めてでした。また、黒人差別があった、そして今も根強く残っているという事実は知っていても、表面的な知識しか持っていなかったので、実際にあった公民権運動を題材にして作られてたこの映画は、話がとても分かりやすかったです。そこに絡まる問題は、残念ながらとても分かりやすいものではないのですが。
 1955年12月、モンゴメリーで1人の黒人女性が逮捕されました。その理由は、「白人女性に席を譲らなかった」というもの。当時のモンゴメリーでは、黒人はバスの後ろのドアから乗車しなければならず、座る位置も後部座席に限られていたのです。しかも、これが暗黙の話ではなくて、法律として定められたいたのです。今の時代から考えると、特に差別問題に疎い日本人である私からは、とても想像の出来ない話です。この事件が原因で、黒人の人たちは1年以上もバスの乗車をボイコットしたのですが、それは当然だと思います。あまりに理不尽な社会だったのだから。しかしその当時のアメリカ、特に白人の間では、そのように差別することが当たり前だったのです。そしてその当たり前の状況の中で、黒人を擁護した白人のトンプソン夫人の行動は、とても真似できない行動だと思いました。黒人を擁護したために、同じ白人から、そして夫からも迫害を受けながらも、それでもオデッサ、そして黒人を守り続けるトンプソン夫人の信念に感動して涙してしまいました。トンプソン夫人の義弟に代表される当時の白人の人たちは、自分たちの考えが正しいと思っているため、本来正しいのはトンプソン夫人のほうであるのに起こる衝突。現在の考え方からすると、やはり正しいのは当然「差別のない世の中」なのですが、その当たり前が当たり前じゃない時代が、つい数十年前にあったということに驚きました。しかし、その状況を打開する黒人の力強さにはもっと驚かされました。また、自分の信念のもと、その黒人の人たちを助けた白人がいることも
、決して忘れてはいけないことだと思いました。
 対して、今回見たもう一方の映画『怒りの葡萄』は、白人間での身分差別を描いた映画であり、差別と言うと、どうしても黒人差別を思い浮かべてしまう私にとって、内容は古いですが新鮮な映画でした。干ばつと砂嵐により凶作に陥ったオクラホマの土地から、職と土地を探すために、一家全員でカリフォルニアに向かう話だったのですが、カリフォルニアには仕事があると言われていたはずなのですが、実際はカリフォルニアでも職が見つからず、職が見つかっても、トラブルに巻き込まれるという苦難の連続。そもそも主人公のトム・ジョードが前科持ちであることから、苦難がそれ以前からも続いていることが想像できますが、そのトム・ジョードがラストシーンで母に別れを告げるところは、それまでの波乱万丈な苦難の展開と違い、とても落ち着いていて、しかし落ち着いている中でも力強いシーンで、特に印象的でした。例え殺人者であっても、本当の正義に目覚め、それを追究していくと誓った、母のもとを去っていくトムの姿からは、差別に立ち向かう強い意思を感じました。そして、トムがいなくなったジョード一家が次の土地に向かうシーンで映画は終わるのですが、そのときの母の表情も、その前のシーンでのトムの表情を彷彿とさせる強い意思を持った表情で、農民のたくましさを感じました。他にも、祖父や祖母が死んでしまったシーン、カリフォルニアに向かう道中で立ち寄った軽食堂のようなところで、温かい人情に触れるシーン、ジョード一家よりも貧乏な家族やその子供たちが集まるキャンプ場の悲惨な光景など、印象的なシーンはたくさんありますが、やはり全体に渡って描かれる、「白人による白人への差別」にとても考えさせられました。アメリカでの差別と言うと、表面上しか知らない私は、どうしても黒人差別を思い浮かべてしまい、このような身分格差による白人差別もあったということをよく知らずに、深く考えてはいませんでした。しかし、この映画を通じて、日本のえた・ひにん制度のように、アメリカにも身分差別が当然のようにあり、それに立ち向かう農民の強い志があったことを感じました。
 身分差別、民族差別、他にもたくさん差別はあると思いますが、この2つの映画から感じた共通点は、強い意思を持っているということ。差別を受けている側のほうが苦しいはずなのに、とても生き生きして描写されていました。もちろんこれは映画の中の話であり、実際とは違って脚色された部分があるのかもしれませんが、これらの映画で表現されたような強い意思を持っている人々がいなければ、まだまだ全てがというわけではありませんが、現在のような「人類みな平等」という風潮にはならなかったのだろうと思いました。